今回のことば
こえ【声】
①人や動物が発声器官から出す音。音声。地蔵十輪経(元慶点)「声論の八の音コヱに至りて」。「大きな―」
②音声学上、声帯の振動を伴う呼気。有声音。↔息いき。
③物の振動から発する音。ひびき。「鐘の―」「白波の―」
④ことばの発し方。語調。アクセント。「なまりのある―」
⑤意見。考え。「庶民の―」「読者の―」
⑥季節・時期などが近づくけはい。「秋の―」「師走の―をきく」
⑦漢字の音おん。宇津保物語(蔵開中)「一たびは訓くに、一たびは―によませ給ひて」
(『広辞苑 第七版』)
その声は誰の声?
今回は「声」について味わいます
近年、亡くなった方の声をAIで再現する「死者の復活」が話題となっています。2019年の美空ひばりさんの再現に始まり、今やAIの声は人間と区別できないほど精巧になりました。しかし、その声は果たして「誰の声」なのでしょうか。
作家の堀江敏幸さんは、「他者からもらった言葉でないと、引き出せない記憶がある」と語ります。通夜や葬儀、ご法事の際、故人を偲ぶ他者の会話の中に、自分だけでは気づけなかった故人の願いに出遇うことがあります。
私たちは心地よい声は聞き入れますが、都合の悪い声は聞きたくないものです。ましてや、AIによって作られた声は、聞く側の思いに添ったものだけを選ぶ傾向があります。「死者の声の復活」は、もしかしたら自分の思いを響かせているだけかもしれません。だからこそ、他者の声をとおして、自分の思いを超えた願いに気づかされることが大切なのではないでしょうか。
浄土真宗のことば:ほんがんしょうかんのちょくめい 本願招喚の勅命
衆生に対して「帰命せよ」と命じる如来のよび声のこと。摂取して衆生を必ず救うという仏意を表す。「行巻」には「帰命は本願招喚の勅命なり」(註170)とある。
(『浄土真宗辞典』本願寺出版社)
共鳴するお念仏―私を喚び覚ます声
親鸞聖人は「南無阿弥陀仏」とは、私を必ず救うという願いより起こされた喚び声であるとお示しくださっています。その声は、私たちにどのように届けられ、何を伝えてくださっているのでしょう。
お釈迦さまは、弟子である阿難に阿弥陀仏の救いを説かれました。そのときのお釈迦さまは、光輝いており、いつもそばに仕えていた阿難でさえ「いつもより尊いお姿である」と感動されたのです。すると、お釈迦さまは「今日は阿弥陀仏の救いを説けることが本当にうれしいのだ」とお念仏の教えを説かれたのでした。親鸞聖人はこの場面こそが、阿弥陀仏の真実の願いが声となって私に届けられている証拠だと明らかにしてくださいます。
阿弥陀仏は法蔵菩薩であったとき、すべての生きとし生けるものを救うため「声の仏」になるとお誓いくださいました。また「この願い、誓いを聞いたすべての諸仏が、名を称え讃嘆することがなければ、仏とならない」と、全存在をかけてすべてのいのちを救っていくと誓われたのです。そうした阿弥陀仏の願いは、諸仏と共鳴し、名を称える声となっていったのです。
阿弥陀仏の願いを説かれたとき、お釈迦さま自身がその願いと共鳴し「南無阿弥陀仏」の声によって阿弥陀仏を称讃されたのです。その声は阿難の身に至り届き、阿弥陀仏の願いを伝えていったのでした。阿難は、お釈迦さまの直弟子のなかで唯一自分の力で覚りを得ることができなかったと言われています。その阿難が、お釈迦の声によって阿弥陀仏の救いに出遇っていかれたのです。
親鸞聖人は自ら称える「南無阿弥陀仏」の声に、お釈迦さま、阿難、そして法然聖人と、お念仏の声に共鳴した人々が伝えてくださった、阿弥陀仏の願いを聞いていかれました。自らの思いでしか声を聞くことのできない「凡夫」である身は、お念仏の声によってでしか、真実の願いに出遇うことはできないのです。そしていま私も、多くの方のお念仏の声によって、称讃の連鎖のまっただなかにいる「阿弥陀仏の願いが共鳴している器」であると気づかせていただいています。
今回のまとめ
●お念仏は、阿弥陀仏が私を「喚び覚ます声」
●共鳴するお念仏の声によって、仏の願いは私に伝わる