今回の言葉
つい‐たち【朔日・朔・一日】
(ツキタチ(月立)の音便。こもっていた月が出はじめる意)
①西方の空に、日の入ったあと、月がほのかに見えはじめる日を初めとして、それから10日ばかりの間の称。(陰暦の)月の初め。上旬。初旬。伊勢物語「時は三月の―、雨そほふるに」
②月の第一日。いちじつ。古くは「ついたちの日」ということが多い。蜻蛉日記(下)「閏二月の―の日、雨のどかなり」
③特に、正月一日。元日。紫式部日記「ことしの―、御まかなひ宰相の君」
つき‐かげ【月影】
①月のひかり。古今和歌集(雑)「―のいたらぬ里もあらじと思へば」。「―さやかな夜」
②月の形。月の姿。源氏物語(末摘花)「をりをりの―などを」
③月の光に映し出された物の姿。源氏物語(橋姫)「ほのかなりし―の見おとりせずは、まほならんはや」
④薄墨で竹などの模様をすり出した紙。
〔『広辞苑 第七版』〕
今回は「月」をとおして、阿弥陀仏の慈悲のお心を味わいます。
月は人の道しるべ
古くから太陽と月の光は、時間や方向を知らせてくれるものでした。月のはじめを「ついたち」と呼ぶのは、「月立ち」、こもっていた月が姿をあらわしはじめることに由来します。また月は眺めることができるので、人々の道しるべとなったことでしょう。
月影のなかを旅するふたり
『月の沙漠』という童謡があります。作詞をした加藤まさをは当時、結核を患っており療養のため千葉県の御宿に滞在していました。そのときの経験、見た風景が創作の契機となったといわれています。歌のなかでは、王子とお姫さまがふたりっきりで、月影のなかあてもなく旅する様子がえがかれます。この歌は1923(大正12)年に発表されましたが、発表後関東大震災が発生し、日本は急激に不穏な時代へと移りかわりました。ふたりが歩む姿は、行き先へ漠然とした不安を抱えた当時の人々にどのように響いたのでしょう。
浄土真宗のことば:がつあいざんまい 月愛三昧
釈尊が阿闍世の身心の苦悩を除くために入った三昧の名。きよらかな月の光が青蓮華を開花させ、また夜道を行く人を照らし歓喜を与えるように、仏がこの三昧に入れば、衆生の煩悩を除いて善心を増長させ、迷いの世界にあって、さとりの道を求める行者に歓喜を与えるという。『涅槃経』に「世尊大悲導師、阿闍世王のために月愛三昧に入れり」(信巻引文・註279)と説かれている。
〔『浄土真宗辞典』本願寺出版社〕
灼熱の太陽、穏やかな月
昔、砂漠をゆくキャラバンは夜に移動したといわれます。砂漠は昼間は灼熱です。普段は人を育てる太陽の光は、砂漠という厳しい環境では人間にとっては危害を加えるはたらきになります。しかし、夜に輝く月は、穏やかな光をとおしてやさしく人を導きつづけます。『月の沙漠』のふたりの姿は、まさに「月影」――月の光に映し出された姿だったのです。
阿闍世とともに歩む
阿闍世は自らの欲や怒りによって、父を殺し、母の心を傷つけていきました。その行為によって、体は腫れ物に苦しみ、心もすさまじい後悔に悩まされていきます。そんな阿闍世にお釈迦さまは「阿闍世のためにはかり知れない長い間涅槃に入らない*」とおっしゃいました。涅槃とは、欲や怒りが全く消滅した、仏としての究極のよろこびの境地です。お釈迦さまは、そのよろこびに入ることさえ手放して、苦悩のまっただ中に沈む阿闍世とともに歩んでいくと宣言されたのです。月の光のように阿闍世を照らしたこのはたらきは、『涅槃経』で「月愛三昧」と説かれています。また、親鸞聖人は『涅槃経』の「阿闍世とはあらゆる煩悩をそなえたもの*」という言葉をとおして、阿闍世とは聖人ご自身の姿であり、私の姿でもあるとお示しくださいます。
暗闇を照らす慈悲の光
仏さまの慈悲も、この月の光にたとえられてきました。月の光により、どんな暗闇であってもやさしく照らし、導きつづけてくださる仏さまのやさしさを私たちは知ることができます。親鸞聖人は、お釈迦さまが阿闍世を救う姿をとおして、私たちによろこびを与えてくださる阿弥陀仏のお慈悲のはたらきを明らかにしてくださっています。
*現代語訳は〔『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』本願寺出版社〕より
今回のまとめ
●月の光のように、仏さまは私を照らし続ける。
●阿弥陀仏の慈悲が、私の道しるべとなる。