今回の言葉
ちから 【力】
①自らの体や他の物を動かし得る、筋肉の働き。雄略紀「汝―人に過ぎたり」
②気力。精神力。根気。精根。万葉集(17)「出で立たむ―をなみと隠りゐて」。「話に―がこもる」
③能力。力量。実力。平家物語(1)「今は世末になつて国の―も衰へたれば」。「金の―」「―及ばず敗れる」「数学の―がつく」
④ほねおり。労力。努力。竹取物語「―を尽くしたること、少なからず」。「―を惜しまない」
⑤たよりとするもの。よりどころ。源氏物語(夕霧)「こなたに―ある心ちして慰めしだに」。「―と頼む」「―にする」「―を得る」
⑥しるし。ききめ。おかげ。効能。源氏物語(須磨)「神すこし鳴りやみて、風ぞ夜も吹く。多く立てつる願の―なるべし」。「科学の―」
⑦権力。腕力。暴力。「―で立ち向かう」
⑧〔理〕静止している物体に運動を起こし、また、動いている物体の速度を変えようとする作用。ベクトル量で、単位は国際単位系ではニュートン(N)。電力・馬力など、エネルギーまたは仕事率(動力・工率)の意に用いることもある。
〔『広辞苑 第七版』〕
力を差し出し、暮らしを得る
今回は「力」をとおして、阿弥陀仏の救いのおはたらきについて味わいます。
NHKの朝ドラ『ひよっこ』は、高度経済成長期の集団就職で上京した女性が主人公のドラマです。彼女は、高校卒業後すぐ、工場に寮生活をしながら勤務することになります。寮では同年代の仲間と仕事についてだけでなく、家族の悩みを語り、休日の余暇を共有していきます。仲間と寝食を共にする寮での暮らしも含めて、会社は彼女の人生の支えとなっていたのです。このように、企業は「金の卵」と言われた少年少女たちの「労働力」への対価として、衣食住を支える力を提供していました。
現在その時代を生きた人は高齢者となり、仕事への能力はいちじるしく低下しています。若いころは、自分の力を差し出せば、暮らしを支える力が返ってきました。けれど、差し出す力がなくなったとき、私を支えてくれる力はどこにあるのでしょうか。
浄土真宗のことば:ほんがんりき 本願力
因位の本願にかなって成就された衆生救済のはたらき。曇鸞は『論註』において不虚作住持功徳を解釈する中で、本願力の意義を明らかにしている。
〔『浄土真宗辞典』本願寺出版社〕
対価ではない救い
阿弥陀仏のすべてのいのちを救っていきたいという願いは、力となって私たちに至り届いています。その力は私の信仰への「対価」ではなく、仏の側からの一方的なはたらきです。そして、そのはたらきによって、浄土に生れた者は、今度は迷いの世界に還って自在に人々を導きます。その姿を親鸞聖人は『正信念仏偈』に「煩悩の林に遊んで神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといへり」とお示しくださっています。
「遊び」にはからいはいらない
土曜学校の自由時間に子どもたちは、いろいろな遊びをします。あるとき鬼ごっこがはじまりました。鬼に捕まった子はじっとしていないといけませんが、やがて好き勝手に走り始めます。「そんなことをしたら勝ち負けが…」と思っていたら、子どもたちはまったく気にしません。最後はただ走り回るだけで、満足して自由時間は終わりました。「遊び」には「はからい」は必要ないのかもしれません。「遊んで」という言葉は、見返りを求めることのない、自在なはたらきを表しています。
むなしく終わらせない阿弥陀仏の願い
私のいのちが「力なく終わる」とき、対価を求める人生はむなしいものとなっていきます。しかし、阿弥陀仏は、すべてのものをむなしく終わらせないと願い、浄土へ生れさせようとはたらき続けてくださっています。それによって、「私の力」へのはからいをたよるのではなく、阿弥陀仏の願いを依りどころとする身へと転ぜられます。そして、浄土へ生れるとただちに、すべてのいのちを自在に救う身へと成らせてくださるのです。
それはいまの問題を先送りにすることではありません。たとえいま「力なく終わり」つつある身であったとしても、そのままが、阿弥陀仏の大きな力に支えられ、導かれつつある身であったと、よろこばせていただくのです。これこそが、いまこの身に与えられる揺るぎない利益です。そうした阿弥陀仏の救いのはたらきを、親鸞聖人は「本願力」とお示しくださっています。
今回のまとめ
●「本願力」は対価ではなく、阿弥陀仏の側から一方的に届くはたらき。
●力なく終わる私を、仏は浄土へ生れさせ、人々を救う身としてくださる。