今回のことば

市に虎あり

[戦国策(魏策)](虎が市にいるはずはないとわかっていても、そう主張する者が大勢いれば、ついには信じてしまう意)事実無根の風説も、言う人が多ければ遂には人をまどわすに至るというたとえ。「三人市虎を成す」とも。

三人虎を成す

[戦国策(秦策)](3人が虎が出たと言えば本当のことになる意)根拠のない噂も、大勢の人が言えば本当になるということ。

(『広辞苑 第七版』)

溢れる情報に惑わされる

インターネットで質問をすると、AIが答えてくれるサイトがあります。どんなジャンルにも対応しているので、調べものをするのに便利です。しかし、その答えに違和感がある場合もあります。特に、浄土真宗のことを聞いたとき、強く感じます。ネットニュースなども、根拠のない憶測だけの記事や、偏見に満ちた誹謗中傷が掲載されることもあります。ところが、その内容を信じるひとが多数になると、そちらの方が真実であるかのように広まるものです。

『戦国策』とは、中国の戦国時代に各地で遊説した人びとの言説や国策、その他の逸話を国別に分類し、編集した書物です。前漢の劉向(紀元前77年〜紀元前6年)が33篇の書にまとめ、『戦国策』と名づけたといわれています。

いつの時代も、流説によって人びとを惑わし、また惑わされる人びとがいたのです。インターネットやAIの発達により、扱える情報量が多くなったとしても、人間の本質が変わらない限りは、根拠のない言説に惑わされることはなくならないのかもしれません。

「三人よれば文殊の智慧」という言葉があります。3人が意見を寄せ合い議論をつくせば、仏さまや菩薩さまのような智慧を得ることができると言われます。しかし、どんなに人が集まっても、それぞれが根拠のない意見を言い合うだけでは、とても真実の智慧を得られるとは思いません。どんなにたくさんの数をかけ合わせても、ひとつ「0」が混じるだけで、答えは「0」になってしまうのです。

仏教には「三毒の煩悩」という言葉があります。

浄土真宗のことば1:さんどく 三毒

3種の代表的な煩悩。三垢・三惑などともいう。貪欲、瞋恚、愚痴の3種で、貪・瞋・痴とも略する。この三毒は衆生を害する根元であるから三不善根ともいわれ、諸善を生ずるもととなる三善根(無貪・無瞋・無痴)に対する。

浄土真宗のことば2:とんよく 貪欲

三毒の一。貪愛などともいう。むさぼり・我執のことで、自己の好む対象に向かってむさぼり求める心をおこすこと。

浄土真宗のことば3:しんに 瞋恚

三毒の一。いかり・腹立ちのことで、憎しみ怒り、心が安らかではないこと。

浄土真宗のことば4:ぐち 愚痴

三毒の一。真実の道理に無知なこと。仏教の言葉の意味や教えについて無知なこと。

浄土真宗のことば:5 ぼんのう 煩悩

梵語クレーシャ(klesa)の意訳。惑とも意訳する。身心を煩わせ、悩ませる精神作用の総称

(『浄土真宗辞典』本願寺出版社)

人間の本質と「三毒の煩悩」

親鸞聖人は「浄土文類聚鈔」に

雑毒(ぞう どく)(ぜん)をもつて

かの浄土(じよう ど)回向(え こう)する

これ(かなら)不可(ふ か)なり

とお示しくださっています。どれほど善い行いをしたとしても、少しでも「煩悩」が混じった「雑毒の善」では、真実のさとりを得ることはできないのです。

また、どんなに煩悩を起こさないように思っても、なかなかできないのがこの私です。世の中には、煩悩をコントロールする方法がさまざま紹介されています。しかし、私たちは煩悩の起こし方を習ったわけではないのに、いつのころからか煩悩を起こし、それに振り回されて生活しています。学ばなくても起こるということは、煩悩を起こすのが私の本質だということでしょう。

「雑毒の善」を導く阿弥陀仏

だからこそ、阿弥陀仏は、清浄(しよう じよう)(まったく貪欲が無い)、歓喜(かん ぎ)(まったく瞋恚が無い)、智慧(ち え)(まったく愚痴が無い)の心によって願いを起こし、私たちを真実のさとりを得る身へと育て導き続けてくださっています。

膨大な情報量に押しつぶされそうになる現代だからこそ、煩悩の混じった言葉に惑わされるのではなく、阿弥陀仏の願いを依りどころとされた、お釈迦さま、親鸞聖人、そして先人の念仏者たちの言葉に触れて、情報の質を高めていく生活を送りたいものです。

今回のまとめ

・人の本質は、昔も今も「三毒の煩悩」に惑わされる身。
・氾濫する情報の中だからこそ、阿弥陀仏の願いを依りどころに。

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