今回のことば
あび―きょうかん 【阿鼻叫喚】 アビケウクワン
〔仏〕
①阿鼻地獄の苦に堪えられないで泣き叫ぶさま。
②転じて、甚だしい惨状を形容する語。「―の巷と化す」
あび 【阿鼻】
〔仏〕
(梵語Avīci無間と訳す)八大地獄の第8。五逆・謗法の大悪を犯した者が、ここに生まれ、間断なく剣樹・刀山・鑊湯などの苦しみを受ける、諸地獄中で最も苦しい地獄。阿鼻地獄。無間地獄。阿鼻叫喚地獄。阿鼻大城。
あびじごく 阿鼻地獄
阿鼻は梵語アヴィーチ(avīci)の音訳で、無間と意訳する。無間地獄のこと。
(『広辞苑 第七版』)
猛暑という「苦しみ」
今回は「苦しみ」と「救い」について味わいます。
世界のいたるところが、猛暑、酷暑によって苦しんでいます。ヨーロッパでは連日40℃を超えていますが、クーラーない世帯が多く社会生活にも影響が出ています。日本でも「熱中症」による健康被害が深刻になっています。とくに高齢者は体の不調を感じても我慢をしたり、そもそもその変調に気がつかないまま、「苦しみ」を感じたときにはすでに危険な状態になっていることが多いそうです。人は苦しみに堪え切れなくなったときにはじめて、「救われたい」と思うものです。
「阿鼻地獄」とは何か
地獄は「自らの罪業の結果として衆生が趣く苦しみのきわまった世界」(『浄土真宗辞典』〔本願寺出版社〕)といわれます。その苦しみによって泣き叫ぶ声が絶え間なく続くのが「阿鼻地獄」です。その地獄に響く声は「救われたい」という切実な願いなのかもしれません。しかし、その願いは叶えられることなく「苦しみ」は続いていきます。阿鼻地獄は苦しみの声が間断なく響き続ける「無間地獄」なのです。
浄土真宗のことば:はちねつじごく 八熱地獄
熱気に苦しむ8種の地獄。八大地獄ともいう。等活・黒縄・衆合・叫喚・大叫喚・焦熱・大焦熱・無間の8種からなる。①等活地獄。この地獄の罪人は体を斬られるが、蘇って再び苦しみを受けるという。②黒縄地獄。この地獄の罪人は鉄の黒縄を体にまかれて鋸で斬られるという。③衆合地獄。この地獄の罪人は山間に挟まれて押しつぶされたり、鉄の臼の中で砕かれたり、多くの苦しみが同時に来て苦しむという。④叫喚地獄。この地獄の罪人はもろもろの苦しみに逼られて泣き叫ぶという。⑤大叫喚地獄。この地獄の罪人は叫喚地獄よりさらに激しく泣き叫ぶという。⑥焦熱地獄。この地獄の罪人は猛火に包まれて熱のために苦しむという。⑦大焦熱地獄。この地獄の罪人は焦熱地獄より激しい猛火に包まれて高熱に苦しむという。⑧無間地獄。この地獄の罪人は最も苦しみが多く、間断なく苦を受けるという。
(『浄土真宗辞典』〔本願寺出版社〕)
なぜ苦しみは「無間」に続くのか
無間地獄(むけんじごく)では、なぜ苦しみが間断なく続くのでしょうか。
親鸞聖人は『浄土和讃』で、
衆生有礙(しゅじょううげ)のさとりにて
無礙(むげ)の仏智(ぶっち)をうたがへば
曾婆羅頻陀羅地獄(ぞうばらびんだらじごく)にて
多劫衆苦(たこうしゅく)にしずむなり
とお示しくださっています。私たちが阿弥陀仏(あみだぶつ)のはたらきを疑うことが、地獄に趣く因(たね)なのです。この和讃の「曾婆羅頻陀羅地獄」は「無間地獄」のことです。この地獄に衆生が永くしずむことについて、左訓には「無間地獄の衆生を見てあら楽しげやとみるなり。仏法を謗りたる者、この地獄に堕ちて八万劫住す。大苦悩を受く」とあります。仏法を疑うとは、阿弥陀仏の願いを依りどころとするのではなく、私たちの煩悩(ぼんのう)を依りどころとすることなのでしょう。
「無理だ」と思ってしまう私
阿弥陀仏は法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)であったとき、一刹那(いっせつな)(きわめて短い時間)であっても、自分のことを考えず、間断なく衆生(しゅじょう)を心配し続けてくださっていたといわれます。私に願いをかけ続けていくことが、阿弥陀仏のよろこびなのです。
私はこれを聞いたとき、そんなことは無理だと思ってしまいます。自分のことをまったく気にせず、相手のことを思い続けていくと、その思いはやがて「苦しみ」になっていきます。結局は、自分の思いに従って生きる方が楽であり、自分の思いどおりになることがよろこびなのです。そして、それが当たり前だと思ってしまいますから、そこから抜け出そうという思いすら起こらないのです。それが仏法を謗るということです。地獄が無間に続く因は私の側にあるのだと、親鸞聖人はお示しくださっているのです。
親鸞聖人が願い続けてくださること
阿弥陀仏は、地獄を生み続けていることにすら気がつかないまま、苦しみ悲しみを重ねている私を救い、仏と等しい智慧(ちえ)を与えていきたいと願ってくださっています。
そして、親鸞聖人は、地獄の苦しみ悲しみに沈み、そこから抜けだそうとも思わない私が、お念仏を称えつつ、自らの姿に目覚め、仏の願いを依りどころとしていく仏道を歩んでいってほしいと、願い続けてくださっているのです。